JICHOUJIAI

「ゆらぎ世代」を「自重自愛」で乗り切る40代主婦のブログ

小学2年生の時に書いた詩が今の私の心に響く

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忘れっぽくなった今でも何故か鮮明に覚えている記憶。小学校2年生の国語の授業で詩を書きました。

何を書いたらいいかさっぱりわからなくて、理科園にあるニワトリ小屋の掃除・餌やりする飼育係だった私は、ニワトリの事でも書こうと思って理科園に行くと、枯れかけている花に目がとまり詩にしました。

担任の先生は教師になって間もない女性の先生で、優しいけれど叱る時はしっかり叱る大好きな先生。詩を一人ずつ発表した時、大好きな先生から褒めてもらえたのが嬉しくて鮮明に覚えているんだと思います。

詩を書いたのはこれが最初で最後。今でも本・テレビなどで詩を読むと担任の先生のことを思い出します。子供に及ぼす教師の言葉の影響は絶大ですね。

 

小学校2年生の時に書いた詩

かれかれの花

かれかれの花はかわいそう。かれてない花がいばるから だからしょぼんとしているの。

かれかれの花はかわいそう。もうわかくはなれないの だからしょぼんとしているの。

かわいそうなかれかれの花

 

枯れ枯れの花

「枯れている花」ではなく「枯れ枯れの花」とは、どんな枯れ具合だったのだろう?

「咲けない」ではなく、「若くはなれない」と書いていることが不思議なんですが、「咲いてる」=「若い」と小学2年の私は純粋に思ったんでしょうね。

枯れている花は美しく咲く役目を終えて、枯れようとしているのに。

40代になった今でも潜在意識の中に、「咲き誇る若いこと」=いいこと・「歳を重ねること」=どんどん何かを失って可哀そうなこと。認めたくないけれどそう思っている部分が私にあるのだと思います。

歳を重ねることで確実に失うものはあるけれど、それは哀しいことではないのに。

若く見られたい・若くありたいと必死になってる感がある方を見ると、嫌悪感を感じると同時に振り切れてる感じに憧れるんですよね。中途半端な気持ちでどちらにも振り切れず鬱々としてる私には眩しいです。

若いころの咲き方とは違う咲き方で、美しい方を見かけると嬉しい気持ちになり目で追ってしまいます。自分を大切に扱い、今の自分とちゃんと向き合ってる人にしか醸し出せない独特の雰囲気がありますね。

私にとって化粧すること・身だしなみを整えることは「誰かのため」「誰かに見られるため」「よく思われるため」「得するため」だった時を経て、「自分を整える心地よさ」「気持ちのハリ」自分のためにシフトしてきています。

祖母が身支度を整えることを「おつくりするから待っててね」と言っていたことを思い出します。「おつくりする」は、かたちを整えること。

もう咲き誇らなくていいから、「おつくり」を忘れずに咲きもしないし、枯れもしないでいたいです。 

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